すべては「人」から始まった。創業者が語るnano.のはじまり【nano.創業者インタビュー(前編)】

  • nano.の文化

 

nano.——ナノヒューマンプロモーション。

この社名には、「ナノ=最小の単位」、そして「人(ヒューマン)」という言葉が入っています。

 

この世界を動かす最小の資源は、ほかでもない”人”である。

その思想が、会社の名前そのものに込められています。

では、その思想はどこから生まれ、nano.は何を大事にしてきたのか。

 

創業から現在に至るまで、決して平坦な道を歩んできたわけではありません。

 

いくつもの転機を越えながら、今の形になってきました。

今回は、nano.の会長であり創業者の嚴(げん)さんに、その歩みとご自身の考えを伺いました。

 

「人を大切にしない会社」への違和感から

 

――まず、nano.を立ち上げた理由から伺いたいです。

 

僕は20代の頃から、いろんな仕事をしてきました。
その中で、28歳から32歳まで、初めて「社員」としてある企業で働いた時期があったんです。

 

その4年間は、自分のやりたいことよりも会社が進む方向に従って一生懸命働いてきました。

でも、そこで感じたことがあって。

 

 

――どんなことでしょう?

 

会社が掲げている理念と、実際の現場との間に大きなギャップがあったんです。

「人を大切にしよう」と言っているのに、トップの言動はまったく逆だったり。

 

当時の僕は毎月460時間くらい働いていました。

今思えば、考えられないですよね。

 

そういう状況の中で、「これは、人を大切にしているとは言えないな」と。
その違和感が、ずっと自分の中に残っていました。

 

 

――その経験が、起業につながったんですね。

 

そうですね。

会社を辞めるとき、正直、次に何をするかは決まっていませんでした。

 

ただ、先に辞めていた仲間から「一緒に何かやってみいひん?」と声をかけてもらって。

それなら、自分たちでやってみようかと。

 

前の会社で感じた違和感の、”反対”をやればいい。

会社のために働いてもらうんじゃなく、お客様に全力で向き合える。

そういう場所を自分たちで作ろうと思ったんです。

 

なぜ、”ナノ”なのか

 

――社名の「ナノヒューマンプロモーション」には、どんな意味が込められているんですか?

 

「ナノ」は単位、「ヒューマン」は人、「プロモーション」は動かす、という意味です。
そのまま読めば「人を動かす」なんですけど、たぶん、引っかかるのは”ナノ”の部分ですよね。

 

 

――そうですね。なぜ「ナノ」なんでしょう?

 

この世界で、一番の基盤になるものは何か。

一番小さい単位は何か。

そこからすべてが始まっていく、と僕はずっと思っていて。

 

それって、現代社会においては、紛れもなく”人”なんです。

 

人が物事を作り、人が価値を作り、人の発想から便利なものが生まれていく。

だから僕は、人こそが世の中の最小の資源だと捉えているんです。

 

 

――その「最小の資源」を、単位で表そうとした。

 

そうなんです。
ミリなのかセンチなのか、いろんな単位を調べていって。

もっと小さく、遺伝子レベルまで小さくしたいなと思ったときに、ふっと出てきたのが「ナノ」でした。

 

生物学的にも、DNAレベルの小ささを表す単位で。

言いやすいし、どこか可愛らしい。「あ、これにしよう」って思いました。

 

僕たちの仕事は、もともとある価値に人が関わることで、その価値を動かしていく。

その意味を込めてナノヒューマンプロモーションという社名にしました。

 

 

一軒の結婚式場から、すべては動き出した

 

――nano.は、最初はどんな事業から始まったんですか?

 

最初は「ナノエディション」という屋号で、フリーランスのウェディングプロデュースをやっていました。
結婚式場やホテルではなく、お客様と一緒に会場から探して、ゼロから式を作っていく。
そういうスタイ
ルですね。

 

 

――そこからどう広がっていったんですか?

 

やり始めた頃はやっぱり集客が一番難しくて。

まずは近しいところから、と思って知り合いに「結婚式やりたい人いない?」と声をかけていたんです

 

そのうちの一組が、とある結婚式場で式を挙げたいと言って。

それがきっかけで、その会場に「自分たちが外部のプロデューサーとして、この会場を使わせてもらえませんか」とお願いに行ったんです。

 

そうしたら会場の方が「いいですよ」と言ってくださって。

そこから、その式場との関係が生まれました。

 

 

――関係が生まれてから、どう動いたんですか?

 

う嬉しくて毎日通っていました。

特に用事がなくても、一緒に掃除をしたり、カフェの番をしたり

 

その式場も、ちょうど新しい体制で動き出したばかりで、まだ結婚式の数も多くなかったんです
だからお互いに
とってありがたい関係だったのだと思います。

 

そうやって通っているうちに、「他に何かできないの?」と聞かれて、「サービスならできます!」と答えたんです。

 

 

――ここでいう「サービス」というのは

 

結婚式当日の、お客様へのおもてなしですね。

 

ただ、普通にやっても面白くない
その会場がオー
プンキッチンだったので、「洗い場から変えるウェディングサービスはどうですか」と提案したんです。

 

洗い場にもマネージャーを立てて、料理を出す一番手前の工程から、サービス全体のオペレーションを良くしていく。

 

そうしたら「面白いね、やろうか」と。

そこから初めて、サービスの仕事に入っていきました

 

 

――手応えはありましたか?

 

きかったですね。
もと
もと年間60件くらいだった結婚式が、翌年には130〜140件まで伸びたんです。
それだけサ
ービスも忙しくなって。

 

そのタイミングで、もともと一緒にやっていたウェディングプロデュースと、サービスとで、進む方向が変わってきて。


それなら
会社を分けようと、サービスの事業を「ナノヒューマンプロモーション」として独立させたんです。

これがナノヒューマンプロモーションとしての最初の事業になりました。

 

毎日が転機だった

 

――創業してから、会社の流れが変わったと感じる「転機」はありましたか?

 

転機なんてもう毎日ありましたよ。
その頃は、寝るのも怖いくらいで。

最初はキャッシュもうまく回っていなくて。毎日、気づいたら支払いに追われている。
そんな状態でした。

 

 

――具体的に大きな危機もあったんですか?

 

飲食の店舗を広げる話に乗ったことがあったんです。
でもそれがうまくいかなくて。
人をたくさん雇ったのに、その人件費が5〜600万、明日にも用意しないといけない。
そんな局面になったこともありました。

 

 

――それは相当な状況ですね。

 

そうですね。
結局その飲食店の話は撤退することにしたんです。

でも、一緒にやるために雇用したメンバーは残っている。

 

この人たちの給料をどう払うか。

もう仕事を取ってくること以外考えられませんでした。

 

 

――そこからどう乗り越えたんですか?

 

ちょうどその時、ある結婚式場から連絡が来たんです。

 

「2週間後に式が控えているのに、現場を担当するスタッフが全員一斉に辞めてしまう」と。

こんな話ある?という状況でした。

 

普通なら、採算が合うか計算してから受けるものなんですけど、僕はもう値段なんてどうでもよくて。
「とりあえずやります」と即答しました。

 

自分の繋がりのあるウェディングプランナーたちに全員声をかけて、「フリーで入ってくれない?」と。

 

当時はまだ、フリーランスのウェディングプランナーなんて確立されていない時代です。
全部お願いして、僕自身はマネージャーとしてクレームがあれば全部対応する。
そういう形で臨みました。

 

 

――結果はどうだったんですか?

 

13件、全部ノークレームで終わったんです。

 

そうしたら先方から、「ありがとう。このまま終わるのはもったいないから、これからも頼めないか」と言っていただいて。

結婚式のサービスを継続して任せてもらえることになりました。

 

これがあったから雇っているメンバーの給料もなんとか守ることができたんです。

 

 

――まさに転機ですね。

 

でも、転機って一言では言えないんですよ。
本当に毎日いっぱいあったので。

 

僕は、自分に降りかかる出来事は、全部「転機」だと思えるようになったんです。
ターニングポイントって特別な瞬間に来るものだと思われがちですけど、毎日起こることでもそれを自分がどう捉えるかによって転機に変わっていく。

転機が起こるからこそ自分で考える。自分が悩む。

 

そのサイクルが人の引き出しを増やしていくんじゃないかなって。
だから今は、いいことも悪いことも毎日が転機だなと実感しています。

 

すべてを決定づけた、ラソールガーデン熊本

 

――毎日が転機だったという中でも、「これで流れが変わった」という決定的な出来事はありましたか?

 

ラソールガーデン熊本ですね。7年前のことです。

あの立ち上げがなかったら、今のnano.はうまくいっていなかったと思います。
大きかった要因は、ここでも「人」ですね。

 

 

――「人」というのは。

 

この時に加わってくれた仲間の存在が、今のnano.を決定づけるだけの価値があったんです。
それ以上と言ってもいいくらいで。

 

 

――加わった仲間との仕事は、それまでとどう違ったんですか?

 

仲間一人ひとりの力を心から信頼できたんです。

みんながその信頼に応えて、自分の持ち味を存分に発揮していく。

 

誰も守りに入らず、思い切って挑戦している。

そういう仕事が何より楽しかったんですよ。

 

 

――その現場で生まれたものが、今にもつながっているんでしょうか。

 

そうですね。
お互いを信頼して、それぞれが自分の持ち場で責任を持ちながら、最高の結果を出す。

 

その中で、たとえば制服を自分たちで好きなようにプロデュースしたり、いろんな付加価値を考えられるようになって。

「それぞれの専門分野に特化して本質を貫く」というnano.のスタイルも、この現場で間違っていなかったと確信できました。

ラソールガーデン熊本は、自分たちの力を100%出せた案件だったと今でも思います。

 


 

こうしていくつもの転機を越えながら、nano.は少しずつ、今の形になっていきました。

では、そうして築かれてきたnano.は今、何を大事にし、どんな仕事を通じて価値を生み出しているのか。

 

後編では、嚴さんが語る「現在のnano.」、その事業の本質と、大切にしている考え方に迫ります。

 

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